「求められるから始めた」14年―得意と好きの“あいだ”にあったこと

母の料理教室グランマテーブル


「好きではないのに、求められるがまま
目の前のことを淡々とここまできた。」
それは、“得意”の中にあった静かな情熱。

何かを始めたいけれど、
「好きなことが分からない」と迷う人へ。

“好き”から始まらなくても、
“得意”に気づいていなくても、
何かを始め、誰かの役に立てることがあります。

65歳で始めた母の料理教室。
それは、「好きだから」ではなく、
「求められたから」始まったものでした。

気づけば14年。
母が続けてきた日々の中にあったのは、
得意と好きの“あいだ”にある、しずかな確かさでした――。

 

「好き」からではなく、
「お願いされたから」始まった

母が自宅で小さな料理教室を始めたのは、65歳のとき。
その教室が、今月で14年の幕を下ろすことになりました。

「好きなことを仕事に」と言われますが、
実は、母は料理が“好き”というわけではないんです。

でも、料理の腕前はたしかで、本人が驚くほど
「教えてほしい」と言われ続けて…。

一度ならず、何度もお断りしたそうですが、
あまりにお願いされるものだから――と、気づけばスタートしていた。
そんな始まり方だったのです。

続けられるけれど、今やめる理由

母は、今でもとても元気ですし、
続けようと思えば、まだまだ続けられるはず。
それなのに、なぜ今、やめようと思ったのでしょうか。

その理由は、
責任感からくるプレッシャーが、
少なからず大きくのしかかっていたからではないか、と私は思っています。

(口にするものだから、何かあってはいけないという緊張感。
そして、最近の物忘れで、自分に自信を失いかけていることなど。)

でも、私はそれだけではないと感じています。

応えることの人生から、“自分の時間”へ

母は、これまでずっと
“求められることに応える”という生き方をしてきました。

それは、誰かのために動けるという強さであり、
やさしさなのかもしれません。

けれども、80代を目前に控えた今、
もしかしたら、はじめて
“自分の時間”を生きることへ、
心が向いていっているのかもしれません。

自覚なき得意、という贈り物

「好き」からでなくても始めていい

「好きなことを仕事に」と言われる時代。
その響きは軽やかで、自由で、魅力的です。

けれど、すべての始まりが
「好き」からじゃなくてもいい。

むしろ、「好き」からは
仕事として成り立たないこともあって。

そのこと自体が好きじゃなくても、
得意なことだったら、
そのまわりに付随する“好き”があるかもしれない。

そんな視点も、あっていいと思うのです。

得意が、誰かの「学びたい」になる

母は、ただ当たり前のように台所に立ち、
自分なりの工夫で家族を養ってきただけ。

そんな様子を私が日記ブログに
書いていて

それが、
誰かにとっての「学びたい」になっていた。

「好きだからやる」と「できるからやる」は、
似ているようで違う。
でも、どちらも尊い。

好きじゃなくても、
誰かの役に立てる「できること」を
あたたかく続けていくほうが、
人生に深い喜びやつながりをもたらすこともある。

母を見ていて、そう思うのです。

好きじゃなくても、
惹かれる何かがある

本当の喜びは、「もてなしの景色」にあった

そしてもうひとつ。

「そのこと自体が好きじゃなくても、
 そこに付随する何かが好きだと気づく」
ということも、あるのです。

母にとっての料理は、
“得意だからできること”であって、
そのこと自体が夢中になるほど
楽しい対象ではないと言います。

でも、テーブルを整えること。
クロスや器の色合わせを考えること。
季節の草花を添えて、場を彩ること。

その全てに合わせるのが料理。

つまり、料理は手段であって、
本当に「好き」なことは
「もてなしの景色」をつくることにあったのです。

「ありがとう」が、“好き”を育ててくれる

好きになるのは、「それ自体」でなくてもいい。
そのまわりにそっと添えられた“何か”が、
心をときめかせてくれることもあるのです。

そしてきっと――
「ありがとう」と言われる喜びが、
自分では気づかなかった“好き”を、
発見させて、広げてくれることもあるのでしょう。

何かをやりたい

何かを自分でやってみたいけれど、
自分には「これが好き!」と
言えるものが見つからない――

そんなふうに感じている方も、
いらっしゃるかもしれません。

でも、「好き」や「やりたい」は、
最初からはっきりしていなくても、大丈夫です。

また「誰かに求められていること」に、
そっと応えてみる。

「ちょっとやってみようかな」と思えることに、
手を伸ばしてみる。

そうして一歩を踏み出した先に、
思いもよらない“得意”や“好き”が
見つかることもあるのです。

母の教室がそうだったように、
「始まり」は案外、
自分の中ではなく、

他者とのやりとりの中にあるのかもしれません。

完璧じゃなくていい。
自信がなくてもいい。
「ありがとう」と言われる体験が、
心のどこかを、ふっと灯してくれるから。

始まりは、いつも小さな種のようなもの。
そこに水をやり、日を当て、風にさらしながら、
少しずつ育てていくことができるのです。

小さな教室の種まき

【得意の見つけ方】
 この答えの中にヒントが眠っています。

・自分では当たり前にできてしまうことは?
(努力が必要ないこと)
・自分はそうは思わないのに周りからよく褒められることは?
・周りができないのを見て不思議に思ってしまうことは?
・もっとこうすればいいのになんでしないんだろうと疑問に思うことは?
・人からよく頼まれることは?

 

\教室で“誰かのはじまり”を支えませんか?/
小さな教室を自分サイズで開業したい方へ
▶︎【教室づくりサポートはこちら
https://fairemavie.com/?page_id=33

▼【無料メール講座はこちらです。】↓

好きなことを仕事にする!12日間マインドセット無料メール講座
お名前
メールアドレス