1人で教室をしていて、
嫌な思いをすることは
大なり小なりあるかもしれません。
それは、他の人にとっては
そうでもないことが
自分にとっては、嫌なことであったり
という他人とは違う
嫌なことってよくあることです。
稲盛和夫さん(元京セラの創業者)の
著書「生き方」の
234ページに
『災難にあったら「業(ごう)」が消えたと
喜びなさい』と書いてありました。
本に書いてあることを
図にしてみました。↑
「真我」は一糸纏わぬ純真な裸身。
「魂」は、それを覆う衣服のようなもの。
その衣服には、それぞれの「魂」が経験してきた
思いや行い、意識や体験が全て蓄積されています。
現世で自分が成してきた
諸々の思念や行為もそこに
付加されています。
「魂」とは、善き思い・行いも
悪しき思い・行いもみんなひっくるめた
私たち人間の「業(ごう)」が含まれたもの。
それが「魂」として「
真我」という心の中核を
取り巻いている。
「真我」が万人共通のものであるのに対して、
「魂」は人によって異なる。
その「魂」に垢のように
こびりついているとされる「業(ごう)」
とのことです。
稲盛さんは、その名を世に轟かせる
手腕経営者でもあられましたが、
得度されたことでも有名です。
(悟りの世界へ渡る)
その時にお世話になられた老師から
こんなことをいわれたそうです。
「災難にあったら、落ち込むのではなく
(心をざわつかせるのでもなく
イライラするのでもなく)
喜ばなくてはいかんのです。」
災難によって今まで魂についていた
業(ごう)が消えていくのです。
それぐらいの災難で
業が消えていくのですから
稲盛さん、お祝いをしなくてはいけません。」
そこでようやく
”天が与えたもうた試練”と
素直に受け取ることができた、
いかなる慰めの言葉にもまさる
最高の教えだった
と書かれていました。
また「魂」などというと少なからず
拒否反応を示す人がいるでしょうが・・・
と続いて
魂の内側には、「真我」という
純粋で美しい永遠の心が隠れている。
その真我がそのまま発露されれば
人間は綺麗な心で良き思いを抱き、
善き行いしかしない
仏のような存在になれるのですが、
それがそうならないのは
その周囲を「業」をまとった魂が覆い、
さらに欲に満ちた本能が覆い・・・
真我の発現を邪魔する壁が
何重にも立ちはだかっているからとも
書かれています。
だから、私は、小さな教室を営んでいくことって
坐禅やヨガの修行とちょっと似ているのではないかなと
思うのです。
心の外側から内側へ向かって
レンズを磨くように
外側の壁を次々に磨き落としていく試み。
教室をすることは、
本能の部分を司っています。
最初は、好きなことが誰かに喜ばれて
それがお金としていただけたらいいな。
という本能の欲求から始まる教室も
営んでいく過程で、
色々なことを経験し、
この本能を磨き抜いていくところなのだと
稲盛さんの本を読んで思いました。
だから、たとえば、
ハンドメイド系で
自分の作品を真似されたとか
自分のところで習ったデザインを
まるで自分が考えたもののように
発信している人を見たときに
ざわざわしたり、
憤りを感じたり・・・
そういうことがあっても、
自分は器がちっちゃいとか
思って無理に自分を
納めようとするのではなく、
自分の中で災難が起こっている。
と捉え、
まず自分のその気持ちを
まっすぐ深く深く受け止める。
嫌な思いというのは、
自分の価値観(よしあしではなく)
と関係していることなので、
そこが脅かされていることに
ザワザワしてしまうということです。
その気持ちをまずは
しっかり受け止める。
そしてその気持ちと自分は
一体化したものではなく、
気持ちと自分には、
スペースがあることを意識してください。
そして、稲盛さんの書かれていた
「業(ごう)」が落とされていくのだと
イメージができるようになった時に
また1つ「魂」が磨かれて
自分のステージが
上がるのではないかと思っています。
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お教室をはじめてみたいな
教室をするってどうすればいいのかな。
また、始めてはいるけれど
このまま進んでいいのか迷っている
できたら趣味の教室ではなく
仕事と呼べるようになる
一歩踏み出したステージに行きたいな
そのような思いがある方に向けて
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